また明日

日々の興味。前向きに。

くるうこと

朝もはよから陰謀論の辻説法をしているおじいさんが駅にいて、どうも私達は巨悪によっていいようにされちゃっているらしい。そんな気もする。ああいうアクティブなどうかした人というのを(ネットではなく)リアルで見るのは良いことだ。彼は言う、私のような本当のことを言う人間は、ややもするととっ捕まって病院に入れられてしまうのだと。そんな気もする。

大人になってくると、自分が見ている世界と他の人が見ている世界は全然違うことにだんだん気づく。あの人は映画マトリックスでいうところのモーフィアス。たとえ彼が正しいとしても、私はこの日常に戻る方のクスリを飲んでしまうだろう。

彼の言葉は、例えるなら私がどれだけ静止しているつもりでも、地球と一緒にものすごい速さでグルグル回っているのだ、という事実に似ている。たしかにそれも真実だけど、静止しているという主観的現実を生きるしかない。宇宙的視点、あるいは人間には持ちえない高次の視点から見れば正しい、というのがモーフィアスの言葉だ。

この電脳世界では、何かのきっかけで私たちはモーフィアスになってしまう。そうすると「現実」なんてブッ壊して構わない悪意に満ちた作り物だと「気付いて」しまう。陰謀は蔓延し「本当の世界」は侵される。その気付きは、ある種の副作用なのだ。

リアルで仕事を成し遂げた人がこの副作用で少しずつ脳の牢獄に閉じ込められていく、そういうことが有り得るのではないかと、ふと思う。ほら、どうかしたのかしらっておじさまおばさまが、たまにいらっしゃるでしょ?こちらの世界では。

脳の衰えより先に、身体的感覚器官が劣化することがその一因ではないかと疑ってる。重力を感じられなきゃ、静止しているという主観的現実の確からしさが弱まるのだ。

 

何を言っているか分からない。分からないなりに考えよう、そして体を動かそう。モーフィアスには、なれない。

また、明日にしよう。

 

マトリックス (字幕版)