また明日

日々の興味。前向きに。

BBA

インフルエンザがやってきた。1月息子がB、2月娘がB、3月奥さんがA。BBAコンボ。

家族、とりわけのインフルエンザというのは会社を休むには良い口実である。感染しないように気をつけてさえいれば、自分は無傷で数日家にいられる。そりゃメールや電話が皆無ではないけど。子どもたちに2回ずつ打たせたワクチン代は悲しいけど、してなきゃ高熱がもっと続いたはずだし、こんな過密な都市で生活するには接種証明が社会性の見せどころだし。

過疎地なら別にうつしたりうつされたりすることも少ないかも知らんけど、まあ仕方ないよね。大東京だからね。

奥さんは、子どもたちに2回インフル感染させるわけには行かないと天岩戸に引きこもりあそばされた。ドアには絶対入るなの貼り紙。その下に娘が書いた「ういるすがあるところ」の文字に笑ってしまう。かいじゅうたちのいるところ、みたいなひびき。

ようようみんな回復しました、なにより。看病をたくさんしたから、残りの家事は、明日にしよう。

おいしいお酒なんてない

お酒が大好き。飲まない日がない。節酒の誓いを立てても、もって2週間。

お酒って生まれて初めてのときにうまいと思うことなんてない。他の嗜好品もそうなのだけど、学習によって求める力がどんどん強くなっていくものだ。

だから酒にうまいもマズイもなくて、ただただ好きか嫌いかがあるだけ。そしてその好きの正体は、それまでの酒体験の経路に依存している。そう思う。

もちろん、受け付けない体質という人がいるけと、遺伝的要素よりも文化的あるいは学習的要素のほうがこと飲酒に関しては強いのではないかと。体質的に受け付けない親の子どもは、酒を飲む大人を見る機会が圧倒的に少ないという因果関係で、酒に親しむ機会が少なくなる。そういう意味では晩年ほぼすべてのカロリーを酒から摂取しつつ達者に長生きした祖父の姿が私の飲酒の原風景なわけで、酒飲みに、親しんだ結果酒を飲むようになる。

今日4合で600円ていう格安の日本酒を買いまして、飲んだ印象として、あまり好きなお味ではなかった。そのときに、ふと(万人にとって)美味しいお酒なんてない。ということに思い至った。酒自体の味を受け取る脳神経系の有り様がどうなってるかという問題なのだから。それに、お求めやすいお酒を作って流通させる企業努力というものをリスペクトする気持ちも強くある。コンビニで売られるボージョレヌーボーのようなドギツさにはすこし胸焼けしちゃうけど。

こと飲酒に関しては、味を求める気持ちよりも化学物質としてのアルコールの作用を求めるという側面があり、それは渇きを癒やすために水分を取るという人間の生理とは全然別の話。化学物質としてのアルコールを求める、すなわち酔いを求めて酒を飲むのがアル中の第一歩だと、中島らもの今夜すべてのバーでに書いてあった。そのとおりだと思う。あの物語には酒を飲んではいけない理由とそれでも酒を飲む気持ちのすべてが書いてあって、読み返すとシンとした心持ちになる。

 

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

 

タバコは比較的スンナリやめられたけど、お酒をやめるのは大変そうだ。よし飲もう、あと3時間だったら、よし飲もう、明日になったら、とだましだまし先送りしていると飲まないようにできるなんて言うけど、本当かな。

次のお酒は、また明日にしよう。

自転車に乗れるようにする

経験上自転車の練習を始めるのは5歳の頃だ。小学校に上がる前、半年以上の余裕を持ちたい。また、体も大きくなってくるので親の自転車の子載せに乗せるのもだんだんしんどくなってくる頃合い。小学校に入ってしまうと、他にもやることがどんどん出てくる。まだ猶予のあるうちに始めるほうが良い。

まず、何はなくとも気長に構えるしかない。親だって、教えるのが初めてでドキドキする、またイライラする。二人子がいると下の子のほうが何でもスッと飲み込んでできるようになる、そんなふうに感じるけど、それは親の方のはじめてのドキドキがなくなっているだけではないか?何でも初めてのときの体感時間は長いものだから。ともあれ、なにぶん気長に構えるしかない。

気長に構える一方で、なるべくステップは細分化して捉えると進捗していると自分を慰めることができる。そして大切なのはこのステップが、科学的に厳密に正しい必要は全くないということ。教える親のほうが安心するために設けるハードルだということ。このパーツができてくれば最後のゴールに着くことができるという信念を持つこと。

自転車に乗れるようになるには何ができなくてはいけないか。自転車に乗れるというのは非常に簡単なことで「コケる前に漕ぐ」の繰り返しなのだ。そうなると努力の方向性としてはコケないようにする、頑張って漕ぐの2つを少しずつ進める必要がある。

コケない為にはどうするか。まずはそもそもの姿勢を左右バランスが保たれるように制御すること、これに尽きる。ハンドル操作というのは最後の要素なのではないかと感じている。

漕ぐ方は分かりやすい、ただ補助輪のついた状態ででも漕いで前に進むように教えれば良い。このときある程度のスピードになれることとブレーキを掛けることに慣れてもらうと良いだろう。

ということで結論として下記のようなステップでの指導を行うこととした。

①補助輪ありで、まずはまたがる

②そのまま漕ぐ、漕ぐと進むという感覚をもたせる

③たくさん漕ぐと早くなる

④止まるときにはブレーキ

⑤補助輪を外して押されて進む

⑥少し漕いでみる

⑦緩やかな下り坂を走り下りてみる

⑧そこで手を離して一人で走る感覚を持つ

⑨平地で一人で走れるか試してみる

⑩乗れるようになる

という感じ。

 

今は下の子の⑧である。あと少しかな。6歳になるまでには、なんとか。

 

各ステップでまた少しずつエピソードがあるのだけど、長くなったので

まあ明日にしよう。

おじさんが一人でお酒を飲みに行く

仕事はあるといえばある系の仕事で、あまり期日が立て込まない日には3時頃から気もそぞろである。(ナバカリ)管理職という立場上、お家に帰ってもよいのだけど、平社員の定時より先に帰るときは、いささかアカウンタビリティが出る気がして。

 

就職活動というコミュニケーションを通じて、私はこんな人なんてことを雇用主に伝えながらサラリーマンの人生というのは始まるのだけど、本当の雇用主との付き合いって、仕事を通じて腕が上がっていって、よそでも生活はできると自信を得たところから。え、よそで働いてもいいんですよ?って態度が取れるようになってからが

サラリーマンの楽しみ。

 

勤め人としてあんまりぱっとしないなというときは、自分の資質を疑うより雇い主の眼球が腐ってるかどうかを心配したほうが楽しく生きられる。

 

まあくだらない渡世には変わりないけど。そんなこんなの金曜なのだけど、奥さんと子どもたちも、お呼ばれで家にいないし飯もなし。牛たんでも食べて帰ろうと相成りました、つって一人飯な。

駆けつけ3杯分を冷酒2合で間に合わせて、つまみには豆腐と味噌南蛮。味噌南蛮は仙台のものらしい青唐辛子の味噌漬けで、ピリリピリリと刺激してくる。その辛味成分を酒で流して。

牛タンに麦とろろ飯、っていうのはこれは思いついた人が偉いもんで、酒と米で喧嘩しそうなのだけどとろろのアレか麦のおかげかさけも飯もおかずも何も一緒に進んで行って引っかかるところがない。

あいまあいまにチビリチビリと親玉の牛タンを頂く。タンが外国の牛だからなんてぶつくさ言う人間は、畢竟レイシストであって、公平公正にみればどこの牛だろうとタンがうまいのは素晴らしい。しっかりした旨味に、1センチずつ味わいつつ。

酒飲みの長っ尻なんで、だんだんと肉も冷めてきますが、どういたしましていつまでもタンのやわらかく味もしっかりしたものです。焼いてはホイと食べ焼いてはホイと食べる焼き肉という食べ物とも違う。丁寧に焼いていただいて、かしこまって食べる鉄板焼きステーキとも違う、タンの世界のありがたさです。

 

最初は早る気持ちでガツガツと食べてきたところが、とろろの栄養が血管に満ちてくる、またお酒も体を温めるとなると段々とこちらも牛につられてのんびりしてくる。酒、飯、酒、飯、飯。なんてテンポが、酒、酒、、、飯、酒。となるのはゼンマイの伸びかけたオルゴールみたいなもんです。明日からは週末でキリキリゼンマイを巻かずにユルユル子どもと暮らせるんだなと穏やかな気で、最後の力で店を出る。

 

まだ家族が帰る前に家で一人になったら、しばらくほっておいた靴磨きでもして、彼らを待とうかと。

 

って言ってたらもういい時間。

 

まあ、また明日にしよう。

春来にけらし

2018年は雛祭りを前にして、きちんと春が来た。陽射し風花粉どれをとっても立派に春。日記をつけていれば去年のいまごろの暑さ寒さも思い出せるのだろうけど、今年は暖かい春が来そう。3月に桜が咲くような。

こんな日にまだコートを来て汗が出そうな野暮ったいサラリーマンもいて、どんくさいなと感じる。こんなときは厚くないスーツに薄いマフラー1枚で良い。貴乃花親方的な着こなしなのね。

 

春夏秋冬SSAWが巡ることが私のリズムの大きなところを形づくっているのだと深く感じること、それも感覚の老化なのかも。時間の流れがドンドン早くなってもはや一昼夜一週間一ヶ月などはあたかも一音符一小節。四季にしてようやく一楽章くらいの体感速度、交響曲が一曲終わるスピードで一歳歳を取る。年末に第九を聞いて暮れるのも同じ感慨なのかもね、きっと。

 

一音符一小節ごとにうまく行ったとか駄目だったとか一喜一憂してもしかたないという諦観も良いものではないかね。

犀の角のように、ですか、おにいさん?

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

 

お釈迦様が、犀の角のようにただ独りで歩めと言っていた。インドサイは群れを作らずただ一頭で生きていくものだからと、いう説があるけど。

でもそれなら、犀の角のようにではなくサイのように一人歩めになるはず。

 

サイではなくて、その角のことが今話題になっている。  

犀の角は前に進む、でもそれはサイが進んでいるのだ。

犀の角は独りだ、でもサイがいなければ犀の角もない。

 

はてさて犀の角はなんで犀の角でなきゃいけなかったのか?

もしお釈迦様に会う機会があったら聞いてみたい、意外と「いや、その場のノリで言っちゃったのよ」みたいな。ウソー、みたいな。

 

聖☆おにいさん的な楽しみ方。

 

クソ深夜

始めたが最後、終わるまで5時間かかって、もはやだいぶ深夜。

 

本体200円くらいでこの暇のつぶれ方、相当のもの。もうねむくて仕方ないので寝る。

手作りユニット 桜玉

手作りユニット 桜玉