また明日

日々の興味。前向きに。

そんなの、ひどい。

 

たまたま阿吽が、そこにあったからで、阿吽の言葉遣いをウンヌンしたい意図は全くありません。

さて、非道いということばですが、この書き方は彼岸過迄漱石の当て字という記載をいくつか見ました。本来の書き方は「酷い」でしょう。

このことを簡易的に検証するために、いつもお世話になっている国会図書館の検索してみます。


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古いものは明治28年1895年だそうで、検索結果は201件。


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一方で非道いは古いもので明治40年。滑稽小説なんだそうで、となると大正元年から連載開始の彼岸過迄よりも古い例になり、漱石先生ご考案という看板がすこし怪しい。いずれにしてもヒット数はたった8件。やはりこちらが後発で且つやや奇をてらった表現なのだと考えられます。

 

私が初めて非道いを見たのは、南国少年パプワくんで、イトウさんかタンノさんのセリフではなかったかと記憶しています。ちょっと手元に単行本がなくて確認できないですが、間違ってるけど伝わるし超面白いという感想を持ちました。あれが1991年からの作品なので100年の時を経て見いだされたといってよい(よくない)。1975年の週刊明星に、『聞くも涙、3億円事件で非道い目にあった人々』という記事があるので100年間死語だった訳じゃないか。

 

阿吽は仏教用語の「道」を意識しての意図的な選択なのだと思うのですが、他の面白用例が強すぎてちょっと引っ掛かりを感じた次第です。

 

さて、調べてみるとネットの語源辞典(あれ、合ってるやつなのかなあ)には非道が語源だと書いてあり、知恵袋(これもなー)でもその説が多数のよう。でも非道いが語源だとすると、この非道い表記のマイノリティぶりが、不可解だ。

 

辞書をひとつ引いてみた。角川新国語

酷しくなんて、聞いたことないけど、いつ頃の文語なのかしら。謎が多いなあ、江戸の言葉のような感じがするのだけれどな。

 

暇なときに、ボチボチ調べます。あしたにしよう。

君の知らない転びかた

そういう名前の舞台があったの、少し前に。印象的なタイトルじゃない?

 

私たちはほとんどみんなどこかで転ぶ。つまずくだけで、誰かの肩を借りて起き上がることができるかもしれないし、ひどく挫けてあとを引くことになるかもしれない。運と実力に恵まれて、まっすぐに屈託なく歩いていける人も、少しいる。

自分が転ぶ日が来るなんてことを、きちんと想像できないのはきみの若さだけれど、たとえば親としては、なるべく転ばないように、屈託なく胸を張って歩き続けられるように、そう祈って後ろでハラハラしているよ。

若い日々には大いに夢を見てほしいし、がむしゃらに進んでいってほしい。ザッカーバーグやベゾスみたいに世界を変える人間になるチャンスはきっとある。それは本当にそうで、転ぶことばかり予想して足元に気を取られてほしくない。

そういう世界観のなかで、弱者に思いを寄せるのはとても難しい。ベーシックインカムや最低保証年金なんて、みんなで手をつないで走るゆとり時代の徒競走にしか感じられないかもしれない。エレベーターなんてなくても、階段を二段飛ばしで上がっていける君には。

きっと君が初めて転ぶことを意識するのは、転んでいる他人を目の当たりにして、でもその転んだ人を、なにもできずにただ見つめるとき。そういう体験を必ずすることになる。私にとっては、それは大きな地震、君が生まれるよりもずっと前のこと。まだこどもで、揺れや火事で転んだ人に手を差しのべることもできなくてただ震えていた。

そのあと、何年か経って、身近な人たちも、老いて転んで骨を折ったりして、だんだんと立ち上がる気力を失っていった。でも私になにかができるわけではなかった。

私は親として君に、矛盾することを二つ望む。なるべく転ばないで美しいかおをして立っていてほしい。一方で、転んだときの苦しみと痛みを、たくさん感じて知ってほしい。アンビバレントな親心。

 

私たちは親から何を言われたか。

家で食事を残すと、世界には飢餓で苦しむこどももいて食べるものがあるだけでも心から感謝しなければならないよと教えられていた。(お母さん、それにしても、あれは本気で失敗した料理だったのではないかしら?)。

たぶん、私たちの親の世代というのは戦争というつらさは知らなくて、それでもだんだんと豊かになっていく世界に、いくばくかの後ろめたさがあった人たちなのだと思う。学生運動なんかしていたか、それを身近に見ていた人たち。手離しの豊かさが今も信じられなくて、原発なんかの科学文明も何かのチートだと思っている人たち。とても心優しいけど、戦争の不在に心を痛めている人たち。罪悪感と猜疑心にとらわれたかわいそうな人たち。豊かな生活をエンジョイしているのに、弱者には手を差しのべるべきと言う態度は捨てられない人たち。罪悪感は感じながらももらえる年金はちゃんとポケットに入れて、君たち孫にいいものを買ってくれる人たち。かれらもまた、アンビバレントな親心を持っている。

 

タラとかレバとかはないから、私たちと君たちと、そして私たちの親たちが歩く道の、どれが平坦でどれが険しいかを時空を越えてくらべることはできない。

ただ、どんなに平坦に見える道でも転ぶ人はいる、それは本人の資質や努力とは全く違う次元でのこと。すべての人間が違う転びかたをする世界で、ただの一度でもいいから転んだ人に手をさしのべられる強さを持ってほしい。(なんか、君たちはどう生きるか、みたいかな。)

チャーチルという人は"If you are not a liberal at 20, you have no heart. If you are not a conservative at 40, you have no brain."と言ったというよ。20でリベラルでないなら、心がない。40で保守でないなら、頭がない。

リベラルやコンサバティブっていう意味は時代によって真逆になる。気を付けないといけないけど。

転ばない20は自由を尊ぶ、転びかたを知った40は社会制度を守るようになる。そういうことではないか、と今の私は思うよ。

 

若者よ、野心的であれ。と、クラーク博士のモノマネで締める。

いつかは、いつだ?

 

とりあえず二箱ほど宅本便で鑑定に出してみた。本を売りに出したことって今まで一度もなくて、実家にも古い古い本が山のように積まれているのだけど、思いきって箱詰めして送り出した。たったの二箱だけなのに、遺品を整理しているような身辺整理をしている気持ちになった。読みたい本もたくさん送ったからな。ポイントが付与されたあかつきには電子で買い戻す手もある。

はやくhontoの正規品のeインク端末が出てくれるとなおよしなのだけれどな。

 

古本を放流するのはエコロジーなのだろうか。森林資源のことだけ考えたら電子の方がよいのかもしれないが、電力もかかるしな。わからない。持続可能な社会というのは、どことなく長生きするために運動をする、ということに似ていると思えてきた。どれだけ健康にしていたとしても、永久には生きられない。同じようにどれだけ持続可能な社会を作ろうとしても、永遠に繁栄する社会なんてない。いつなのか、という問いかたしかない。いつか破裂する風船を、ドキドキしながら次の人、次の世代に送っていくのだ。

どんなに節制しても、享楽のそしりを免れ得ない、そんな気がしてきたが、もうわからん。せいぜい長生きしよう。

老害、あるいは老概

いかんせん老いる。不惑になんなんとして、不惑に備えている。今は空中に吊り下げられて、だんだんと地面が近づき、ワイヤーも外されようとしているという局面で、なるべくピタリと良い姿勢で着地したい。

それが、不惑というものへの気構えです。まだ、ワイヤーの下がり具合が足りなくて、足がつかないような気がして、もがいている、それが今の心境です。

 

大人になるというのは、自分が果たすべき役割を果たす能力と覚悟(あきらめ?)をえることだと。居場所を決めて、スタとそこに着地することなのだと、今この時点では、思っている。その役割を、ひたすらに、良く果たすことで、世界が良くなっていくのだと信じることができれば、しあわせ。

 

役割がたとえば「ハムの人」だとしても。

 

はい、そんなこんなで今日の泣いたところ。

 


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あたらしい日々

来月になるともう平成ではなくて、レイワになるのだそうですね。ほのぼのレイワ(by GEコンシューマーファイナンス)。言いたいだけ。

4月がきてあたらしい学年になって、あたらしい生活が始まるのです。桜の季節過ぎたら、遠くの町に行くのかい?という歌のようにあちらこちらであたらしい何かが始まるのです。

あたらしい何かが始まる季節の予感に胸が踊らなくなったから、もう感性が疲れているのだな。節目のない、餅のような時間軸で生活をする旧社会人たちが5分咲きの桜の下で、花粉に耐えながらも楽しそうにお酒を飲んでいるのだ。あと何度子どもたちと桜を楽しめるだろうと、漠たる暗さも感じているのだ。

それくらいが新しさとの距離感です。"あたらしい"が"良い"の同義語でなくなってきてからが多様なオトナの価値観ってやつ。ヤッホー。

 

あたらしい ものにも古さ 桜ばな

 

もういちど、あらたなキモチで。明日から。

 

引っ張ったけど

結局こういう非常に素晴らしいリストが回ってきて、これを見れば一瞬だったかも。

探していたのはこの中のフォア文庫、本当は私はそれを思い出すのに家中の本をひっくり返してようやく海賊がぼがぼ丸という本を見つけて、フォア文庫という存在を知ったのだ。

 

かいぞくがぼがぼまる (フォア文庫)

かいぞくがぼがぼまる (フォア文庫)

 

あとは前回の続きで、国立国会図書館のデータベースで、全部に当たるというシラミつぶし。

その結果、私が探していた本はこれだ!

 

かいじゅうムズング (フォア文庫)

かいじゅうムズング (フォア文庫)

 

書影がない。しょえー


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このあいだアマゾンから拾った書影。

記憶の中の一冊を、掘り起こして

失われた記憶

タイトルも作者もはっきり覚えていない、でも気になって仕方がない子供の頃の一冊。それを思い立って掘り起こして来たので、やったことを書く。

誰か他にも探しものをする人もいるかもしれないし、私ももう一度忘れるかもしれない。忘れても思い出したことがあることさえ覚えていれば忘れることは怖くなくなる。

児童書に詳しい人なら、すぐピンとくるかもしれないのだけど覚えていた手がかりは次の通り。

  1. アフリカに怪獣(怪人?)が出現する。アスファルトから出てくる?
  2. 児童書だが大きくないいわゆる文庫サイズだったはず。
  3. 表紙には顔が白くて黒い空洞の目をしたおばけみたいなモノの絵

 

手がかりはどこだ

まずはgoogle先生だよねと「アフリカ 怪獣 児童書」などで検索するもピンとくる結果はなく。

アフリカ子どもの本プロジェクト:おすすめ本:児童文学

こういうページも、とても面白かったけど。この検索で合間合間に半日くらいしていた。「表紙 白い 怪人 児童書」で画像検索とか。やはりgoogle先生は新鮮な情報が好物だから30年以上前の本には疎いのかも。とすると別のアプローチを考えないと。。。 

題名の忘れた本の検索サイトを教えてください。 -ホームズやルパンの時- 事典・辞書 | 教えて!goo

ここで見つけた連想検索というのも興味深かったけど、ゴールにはたどり着けなかった。

ブックオフのデータベースの良さ

ここで手掛り2のアプローチを検討。すなわち、読んだのが幅を見て10歳だとして、私の生年+10年より前に出版された全ての文庫サイズの児童書のタイトルを全部見ればピンとくるでしょ、と。

そういえば表紙の枠取りがあった気がする、ということで講談社青い鳥文庫ではないかとあたりをつける。

青い鳥文庫 全作品 - Google 検索

この検索の20件くらいにブックオフの検索結果があるわけです。

http://www.bookoffonline.co.jp/bo/ec/mb/ctoc/serch/result?jsessionid=277FD067738CADB8FE2164414CF8D043.c&q=%90%C2%82%A2%92%B9%95%B6%8C%C9&st=z&bg=1205&getUid=1&guid=on&refererurl=mbd/L001,row=50,bg=1205,q=%90%C2%82%A2%92%B9%95%B6%8C%C9&x+xjid=277FD067738CADB8FE2164414CF8D043.c&x+xcookie=on

PC、スマホともにぜひ一度ご覧いただきたいのですが、本当に過不足ないシステム。書影もきちんと入り、とても見やすい。

とはいうものの、古い順に並べて発売年で見渡したがピンとくるものはなかった…。

もうこの世に一冊もない本なのだろうか、天下のブックオフといえども全ての本を網羅しているわけではないのだろうか。

そして国会図書館

ブックオフでの捜索が不調に終わった原因は

  1. ブックオフのデータベースが全書籍を網羅していない
  2. 探している本が青い鳥文庫ではない

という2つの仮説が成り立つ。こういう場合確かめやすい方から潰すのが近道。全書籍が網羅されているであろうデータベースといえば国会図書館である。

はじめてアクセスしたよ、国会図書館。こちらもスマートフォンにも対応しており、素晴らしい情報資産だ。

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

こちらも古い順で並べて見たのだが、残念ながらそれらしき本を見つけることはできなかった。

ということは、青い鳥文庫というのは、勘違いだったことになる。あの本を出したのは誰だったんだろう。

 

長くなった。つづきはまた明日にしよう。