また明日

日々の興味。前向きに。

気づくと酒の話


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春は日本酒が美味しい。夏と秋と冬も美味しいが、春も美味しい。

日本酒は4合720mlで1,000円のものだ、と思っている。2,000円だからって2倍幸せにしてくれるわけでもない。でも2本あれば2倍幸せにしてくれる、必ず。お酒は高くなると作品になってきて、それも、とてもビューティフルな味がすることを知っている。神が細部に宿ってくる。凡人の凡飯に神さまはもったいない。

 

昨日は連休の谷間で、少し遅くまで仕事をして、職場最寄りの成城石井で八海山を買って帰った。これは贅沢な部類。

 

食べ物は奥さまが用意し、今や冷えたエビフライと、すき家で衝動買いした牛皿2倍盛り。人は、冷えた揚げ物を 蔑みがちですが日本酒を飲むにはちょうどよくて、からあげにビール!みたいな口を冷ます飲み方をしないのであればむしろ冷めたほうが良いくらい。油系の食べ物にもぶつからずさっぱりさせてくれる八海山が美味しかった。
食中酒は、あくまで食べ物がメインとすると個性がありすぎてもいけず、かといって特徴がないと覚えてもらえない難しさがある。その中で定番として古くから作られ、全国で廉価に売られているお酒というのは、ただもうリスペクト。
 
ロゴもイカス。
八海山 特別本醸造 瓶 720ml
 

お酒とトースト


ハンドルの根元をつかむと楽しい – webやぎの目

 

お酒を飲むと、子供に戻れる。素敵なファンタジー。好き。

 

でも、トーストに焦げ目があるように、どうしても苦み走る。

 

苦味走るスピードを超えて走れば、きっと時空を超えられる。

 

ああ、いい心持ちに酔った。深夜ザンギョーの夜

時間とテンポ

さとうもかから、時間とテンポについて考えてる。昔、ゾウの時間ネズミの時間って本があって、サイズが違えど心臓が15億回(ここの数字はすっかり忘れてて、検索したら書いてあった。ネット万歳)鼓動したとこあたりが寿命、なんてことが書いてあった。

人類の心拍が70だとすると、15億回は1,500,000,000回÷70回/分÷60分/時÷24時/日÷365日/年=40.76年。みたいな試算も書いてあったかな。幼心に、ニンゲンの自然な寿命は40年ちょっと、と刻まれたのを覚えてる。それが80年になるのが、ニンゲンの知恵というものか。

 

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

 

 この本の主張の通り主観的な時間と、客観的な時間は違う。ネズミの1秒とゾウの1秒が違うように、私の1秒と他の誰かの1秒も違う長さ。私の1拍とさとうもかの1拍が違うように。

時間は伸びたり縮んだりする、そう感じるたびにこの小林秀雄「無常ということ」の一節を、なんとはなしに思い出してしまう。

「上手に思い出すことは非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かって飴(あめ)のように延びた時間という蒼(あお)ざめた思想(ぼくにはそれは現代における最大の妄想と思われる)から逃れる唯一ほんとうに有効なやり方のように思える。」

時間の流れ方は、人それぞれで、かつストップウォッチで測れる時間と私に流れる時間は違う。ストップウォッチやメトロノームで時間が測れるという考え自体も蒼ざめた思想に違いない。

唯一ほんとうに有効なやり方、少しだけ近づけたようにもおもう。過言。

テンポ・ルバート。さとうもか lukewarm

テンポ・ルバートtempo rubato)は、訳せば「盗まれた時間」という意味であり、本来的には音符音価の一部を奪い、他の音符に付与することを意味していた。したがって全体のテンポは変化しなかった。19世紀以降ではこの概念は退化して、柔軟にテンポを変えるという意味で用いられるようにもなった。

wikipedia テンポ・ルバート

テンポ・ルバート - Wikipedia

さとうもか、お前もか。ってダジャレを言われてそうな名前のさとうもか。オススメられて聞いてたらハマる。

世の中で売ってるPOPな音楽でこう、テンポが「ヨレる」のって珍しい気がするよ。ヨレると悪い印象だけど、リタルダントとかアッチェレランドっていうか(頑張って調べた)、冒頭申し上げたテンポ・ルバートっていうか。そういう、演出上のもの半分、巧まざるもの半分くらいに聞こえる。メトロノームとか、なんですか?みたいな。

複数人で合奏するときじゃあ、bpmをいくつで、みたいなところが必要なんだと思うのだけど、それって決めごととしては必要なのだろうけど、音楽としては不必要なのかも。

ジャズなんかだと、ライブ感でみんなでちょっとずつ早くなってもカッコいいみたいなことが許容されたりする(気がする)けど、まあそれとも違うわけで。

音が速く遅くなることで、一人の人間が存在していることがくっきりしてくる。主観的な時間が全面に出てくる。私の時計はこうやって進むの、あなたの時計はしらないわ?風の?

またその(客観的なものさしを横においたときの)ルーズさが、他の何かになぞらえられる演出も面白い。例えば1曲目はゼンマイの調子の悪いオルゴール、伸びたカセットテープとか、不安定なレコードとか。アナログテクノロジー世代に、心なしかのノスタルジーをもたらすの、作り物だとしてもね。

 

一人のアーティストの原点らしい素敵なアルバムだと思いました。これから、どんどん変わっていくのだろうし、このさきイン・テンポが気持ちいいときも来るのだろうな。不安定の安定が故に変わり続けることが勝手に楽しみ。聞き続けたいな。

 

ルークウォーム

ルークウォーム

 

 

くるうこと

朝もはよから陰謀論の辻説法をしているおじいさんが駅にいて、どうも私達は巨悪によっていいようにされちゃっているらしい。そんな気もする。ああいうアクティブなどうかした人というのを(ネットではなく)リアルで見るのは良いことだ。彼は言う、私のような本当のことを言う人間は、ややもするととっ捕まって病院に入れられてしまうのだと。そんな気もする。

大人になってくると、自分が見ている世界と他の人が見ている世界は全然違うことにだんだん気づく。あの人は映画マトリックスでいうところのモーフィアス。たとえ彼が正しいとしても、私はこの日常に戻る方のクスリを飲んでしまうだろう。

彼の言葉は、例えるなら私がどれだけ静止しているつもりでも、地球と一緒にものすごい速さでグルグル回っているのだ、という事実に似ている。たしかにそれも真実だけど、静止しているという主観的現実を生きるしかない。宇宙的視点、あるいは人間には持ちえない高次の視点から見れば正しい、というのがモーフィアスの言葉だ。

この電脳世界では、何かのきっかけで私たちはモーフィアスになってしまう。そうすると「現実」なんてブッ壊して構わない悪意に満ちた作り物だと「気付いて」しまう。陰謀は蔓延し「本当の世界」は侵される。その気付きは、ある種の副作用なのだ。

リアルで仕事を成し遂げた人がこの副作用で少しずつ脳の牢獄に閉じ込められていく、そういうことが有り得るのではないかと、ふと思う。ほら、どうかしたのかしらっておじさまおばさまが、たまにいらっしゃるでしょ?こちらの世界では。

脳の衰えより先に、身体的感覚器官が劣化することがその一因ではないかと疑ってる。重力を感じられなきゃ、静止しているという主観的現実の確からしさが弱まるのだ。

 

何を言っているか分からない。分からないなりに考えよう、そして体を動かそう。モーフィアスには、なれない。

また、明日にしよう。

 

マトリックス (字幕版)
 

 

 

BBA

インフルエンザがやってきた。1月息子がB、2月娘がB、3月奥さんがA。BBAコンボ。

家族、とりわけのインフルエンザというのは会社を休むには良い口実である。感染しないように気をつけてさえいれば、自分は無傷で数日家にいられる。そりゃメールや電話が皆無ではないけど。子どもたちに2回ずつ打たせたワクチン代は悲しいけど、してなきゃ高熱がもっと続いたはずだし、こんな過密な都市で生活するには接種証明が社会性の見せどころだし。

過疎地なら別にうつしたりうつされたりすることも少ないかも知らんけど、まあ仕方ないよね。大東京だからね。

奥さんは、子どもたちに2回インフル感染させるわけには行かないと天岩戸に引きこもりあそばされた。ドアには絶対入るなの貼り紙。その下に娘が書いた「ういるすがあるところ」の文字に笑ってしまう。かいじゅうたちのいるところ、みたいなひびき。

ようようみんな回復しました、なにより。看病をたくさんしたから、残りの家事は、明日にしよう。

おいしいお酒なんてない

お酒が大好き。飲まない日がない。節酒の誓いを立てても、もって2週間。

お酒って生まれて初めてのときにうまいと思うことなんてない。他の嗜好品もそうなのだけど、学習によって求める力がどんどん強くなっていくものだ。

だから酒にうまいもマズイもなくて、ただただ好きか嫌いかがあるだけ。そしてその好きの正体は、それまでの酒体験の経路に依存している。そう思う。

もちろん、受け付けない体質という人がいるけと、遺伝的要素よりも文化的あるいは学習的要素のほうがこと飲酒に関しては強いのではないかと。体質的に受け付けない親の子どもは、酒を飲む大人を見る機会が圧倒的に少ないという因果関係で、酒に親しむ機会が少なくなる。そういう意味では晩年ほぼすべてのカロリーを酒から摂取しつつ達者に長生きした祖父の姿が私の飲酒の原風景なわけで、酒飲みに、親しんだ結果酒を飲むようになる。

今日4合で600円ていう格安の日本酒を買いまして、飲んだ印象として、あまり好きなお味ではなかった。そのときに、ふと(万人にとって)美味しいお酒なんてない。ということに思い至った。酒自体の味を受け取る脳神経系の有り様がどうなってるかという問題なのだから。それに、お求めやすいお酒を作って流通させる企業努力というものをリスペクトする気持ちも強くある。コンビニで売られるボージョレヌーボーのようなドギツさにはすこし胸焼けしちゃうけど。

こと飲酒に関しては、味を求める気持ちよりも化学物質としてのアルコールの作用を求めるという側面があり、それは渇きを癒やすために水分を取るという人間の生理とは全然別の話。化学物質としてのアルコールを求める、すなわち酔いを求めて酒を飲むのがアル中の第一歩だと、中島らもの今夜すべてのバーでに書いてあった。そのとおりだと思う。あの物語には酒を飲んではいけない理由とそれでも酒を飲む気持ちのすべてが書いてあって、読み返すとシンとした心持ちになる。

 

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

 

タバコは比較的スンナリやめられたけど、お酒をやめるのは大変そうだ。よし飲もう、あと3時間だったら、よし飲もう、明日になったら、とだましだまし先送りしていると飲まないようにできるなんて言うけど、本当かな。

次のお酒は、また明日にしよう。